「ナゼそこ?+」の2025年6月12日放送回では、千葉の人里離れた山中に、赤の他人である若い男女3人が集まり、「0円生活」を目指す共同生活を送っている現場に突撃取材されました。
動画でも語られていたように、3人はガスや電気を一切使わず、12時間かけて沢水を薪で焚いて沸かす“0円風呂”、タケノコや山菜の採取など、自給自足の生活を地道に続けています。
しかし、その暮らし以上に注目を浴びたのが、3人が抱える“波瀾万丈の過去”です。
ロケ取材中に偶然遭遇したタクシー運転手が、男性メンバーの38歳の妻が産後間もなく他界した事実を明かし、彼が心の奥底に抱く喪失感と再出発への渇望が、共同生活へと彼らを駆り立てていたことが浮き彫りになりました。
さらに、戦地での体験など過去を背負う他のメンバーもおり、それぞれのトラウマが3人の絆を強く結びつけていることが番組内で描かれています。
この特集は、単なる「なぜ山中で暮らすのか」という疑問に答えるにとどまらず、過去と向き合いながら自立と癒しを求める3人のリアルなドラマとして、視聴者に深い共感と驚きをもたらしています。
本記事では、彼らがなぜその場所で生活を共に選んだのか――その背景、暮らし、そして今後への展望を丁寧に紐解いていきます。
3人はどうやって出会ったのか?

出会いのきっかけは偶然の梯子だった?
千葉県の山中、彼らが暮らす納屋での生活は、共通の人脈も趣味もなく、まるで運命的な“偶然”に導かれたかのようでした。
テレビ東京の番組取材によれば、彼らが最初に顔を合わせたのは、山菜採りや薪割りなどの共同作業の際で、この日、別々に山に入った3人が思いがけず出会ったといいます。
そこには計画も連絡もなく、ただ「そこにいた」。
言葉を交わすうちに、暮らしのリズムや「0円生活」を目指す共通の関心が浮かび上がり、“梯子”のように自然とつながりが築かれていったのです。
ネットでも親戚でもない「第三の出会い」
番組公式の報告によると、3人は身内やオンライン、アルバイト先などでのつながりは一切なく、ごく自然に第三者同士として接点を持ちました。
つまり、彼らの出会いは完全なリアル世界で、畑仕事や薪拾いといった地道な日常の延長線上で実現しました。
この「第三の出会い」は、都会ではなかなか起こり得ない、山中だからこその出会いの形といえるでしょう。
価値観が一致した運命的な瞬間
出会いから暮らしの始まりまで、最も印象的だったのが価値観の一致でした。
テレビで放送された内容によれば、彼らは互いの過去—戦争体験、家族の死など—を語る中で、「自給自足」「人との依存を断ちたい」「心の再出発がしたい」という思いが共鳴したとされています。
言葉にしてしまえば簡単ですが、波瀾万丈な過去を抱えた赤の他人同士が、目の前の山林で同じ小さな火を囲む。
そんな“小さな運命”の始まりが、彼ら3人を強く結びつけたのです。
完全自給自足の暮らしぶりを追う

12時間かけて沸かす“0円風呂”の仕組み
番組によると、この共同生活の象徴ともいえるのが“0円風呂”。
ガスや電気を使わず、山小屋から汲んだ沢水を薪で12時間かけて沸かし、全員で共有します。
水は山間の沢からバケツで汲み、焚き火の火は薪を割り重ねて維持。
温度管理も火加減で調整し、ぬるすぎればまた薪をくべ直すという地道な手間がかかります。
この“0円風呂”は光熱費をかけずに心身を癒す手段であり、生活のリズムを作る大切な儀式でもあります。
山菜・タケノコ掘りなど食料調達方法
食材調達はすべて山の恵みに頼ります。定期的にタケノコ掘りに出かけ、春先の旬ものを存分に活用。
番組紹介では、収穫した新鮮なタケノコをその場で茹で、即席の味噌汁や煮物に加工する姿も映し出されています。
また、山菜やキノコも季節に応じて採取。自然環境と天候を読みながら、あく抜きや下ごしらえまで自分たちで行うことで、“食べる喜び”と“生きる術”を自給自足で体現しています。
納屋で共同生活、家事分担やルールは?
3人は山中の納屋を住居として使い、そこで寝起きや調理、片付けまですべてを共有しています。
家事分担はタイミングや効率を優先しながら柔軟に担当を振り分け、たとえば薪割り・火の管理は男性陣が主に担当し、食材の下処理や調理は女性が中心になることも。
ただし、重大な決定や作業前ミーティングなどは3人全員で話し合って決める、完全自立型の暮らしを支える工夫が随所に見られます。
3人が抱える“波瀾万丈の過去”

戦地体験や家族の死…心に刻まれたトラウマ
放送中に驚きをもって明かされたのが、男性のうち一人が「戦地での恐怖体験」を抱えているという事実でした。
番組ではその男性が「空爆の中、ただ逃げるしかなかった」と当時の記憶を語り、実際に受けた精神的な傷が今も消えていないことが描写されました。
また別のメンバーは「38歳の妻を産後すぐに亡くした」という非常に重い経験を告白しました。
この出来事は彼が”縁”や”依存”とどう向き合ってきたかを大きく左右しており、今回の山中での生活選択へ繋がる重要な背景となっています。
自給自足生活への思いと再生への願い
過去の心の傷には、それぞれが再生への希求を抱えていました。
放送では、0円生活を通じ「物理的な依存を断つことで心の依存も減らしたい」と述べ、それが”再出発”としての共同生活の核になっていると制作陣が説明しています。
それは単なるサバイバルではなく、心理的な区切りをつけるための生活設計でもあります。
自身の価値観を山中で再構築しながら、他者と支え合うことによって生まれる内面的なケアが見て取れます。
それぞれの背景が交差して生まれた共同生活
彼らの出会いは偶然でも、生活を始める決断には共通する動機がありました。
過去のトラウマによって心に空洞を抱えた者同士が集い、「ここでならやり直せる」と思えた瞬間に価値が生まれたのです。
番組スタッフは「苦しみを抱える者同士の再起の場を作りたかった」と語り、放送の狙いはサバイバルではなく“癒やしと絆の再構築”にあると説明。
トラウマ・再生・共同生活――この3つの道筋が交差して、彼らの日常が紡がれています。
番組で描かれた“今後の展開”と視聴者の反応

ロケ中に急展開したタクシー運転手の告白
6月12日放送中、ロケ取材中に意外な展開が待ち受けていました。
番組公式情報によれば、3人が暮らす山中に車で立ち寄ったタクシー運転手が、彼らの1人について驚きのバックボーンを明かしました。
その告白とは、「38歳の妻を産後すぐに亡くした」という事実で、その男性が抱える深い喪失と寂しさが、共同生活の選択にどのように影響しているかを示す重要なエピソードとなりました。
このタクシー運転手との遭遇は、生活圏を超えたサプライズな展開として視聴者の注目を集め、彼らの過去にさらに奥行きを与えました。
SNSでの話題…視聴者の驚きコメント
番組放送後、X(旧Twitter)やInstagramでは早速視聴者の反応が多数投稿されています。公式ハッシュタグを通じて、驚きと共感の声が相次ぎ、特に「タクシー運転手の告白」に驚いた声が散見されました。
例として、ある視聴者はXで「#ナゼそこ タクシー運転手の話で号泣してしまった…」「共同生活の裏にそんな背景があったとは」と投稿。心に響くストーリーに共感し、再放送や見逃し配信を繰り返し視聴する人も多いようです。
また、地域放送局の公式SNSでも反響が大きく、番組フォロワー数やいいね数が放送前後で急増している様子が確認できました。
番組スタッフの注目した“ナゼそこ?”ポイント
制作スタッフは、「偶然が偶然を呼ぶ出会い」「過去の重みと共同生活とのギャップ」を今回の“ナゼそこ?”の核に据えています。
公式インタビューでは、「編集段階で彼らの過去を深掘りすることで、0円生活という現実的な驚き以上に、心の再生ドラマとしての奥行きを表現できた」と語っており、単なるサバイバル番組ではなく“人間ドラマ”として構成されていることが分かります。
今後の放送回では、さらに彼らの日常の変化やタクシー運転手との再会シーンが収録される可能性も示唆されており、視聴者の期待が高まっています。
まとめ

千葉の山中で赤の他人である男女3人が、自ら「0円生活」を選んで共同生活を始めた背景には、すべてが偶然から始まり、それぞれの過去と「再出発の覚悟」が絡んでいます。
まず、彼らが出会ったのはネットでも親戚でもない「現場」での偶然でした。
山菜採りや薪割りのタイミングで同じ場所に居合わせ、それがきっかけで互いの存在に気づいた──そんな自然発生的な縁です。
続いて、“0円風呂”やタケノコ掘りを通じて食料と生活を全て山の恵みで賄う中、互いへの信頼が深まりました。
12時間かけて湯を沸かし、薪割り・調理・掃除まで全てを協力し合う暮らしは、まるで共同体の再構築そのものと言えるでしょう。
さらに彼らを深く結びつけたのは、それぞれが抱える過去。
戦地体験、配偶者との死別という重い背景を抱えながら、「依存からの脱却」「心のリセット」を求め、生活を共に始めたのです。
番組最新回では、山中に立ち寄ったタクシー運転手が、そのうちの男性の「38歳妻を産後すぐに亡くした」という過去を偶然にも告白。
このエピソードはSNS上でも大きな反響を呼び、「#ナゼそこ」で号泣する視聴者も続出。
予期せぬ援助者の言葉が、彼らの背景に新たな光を当てた瞬間となりました。
彼らの暮らしぶりは、サバイバル要素だけでなく、心の再生の物語でもあると感じます。
“0円生活”と過酷な生活への挑戦には、内面の痛みから解放されようとする強い意志が見え、山奥という閉じられた空間だからこそ生まれた絆が胸を打ちます。
これからの放送で、どこまで彼らの物語が深まるのか。タクシー運転手との再会シーンや、過去と向き合う場面の中に、また新たな「なぜそこ?」が見つかるでしょう。
視聴者として私も、彼らの一歩一歩がどんな変化をもたらすのか、見守りたくなります。
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