『世界の何だコレ!?ミステリー』は、日常ではなかなか触れることのない日本各地の不思議な現象や伝承を取り上げるバラエティ番組です。
2025年5月21日放送の2時間スペシャルでは、「集落」や「祟り」にまつわるミステリーが特集されました。
例えば、高知県のある村では、原因不明の病が村人を襲い、「ほっぱん」と呼ばれる名主の祟りと恐れられていました。
また、北海道では、約100年前に1週間で消滅した集落の謎が取り上げられました。
長崎県の対馬には、約1300年間立ち入りが禁じられてきた「オソロシドコロ」と呼ばれる場所が存在し、伊豆大島の泉津地区では、1月24日の夜に海を見てはいけないという風習が今も守られています。
これらのエピソードは、単なる怪談や都市伝説ではなく、地域の歴史や文化、信仰に根ざしたものであり、現地の人々の生活や思いが反映されています。
番組では、現地取材や専門家の意見を交えながら、これらのミステリーの背景や意味を探求しています。
この記事では、番組で取り上げられた各地の「集落」や「祟り」に関するエピソードを詳しく解説し、その背景や現地の様子を紹介します。
日本各地に伝わる不思議な伝承や風習に触れることで、地域の歴史や文化への理解を深めていただければと思います。
高知県「ほっぱん」の祟り伝説
原因不明の病に襲われた村
高知県の海沿いに位置する伊田地区では、かつて夏になると村人たちが赤紫色の発疹や高熱、体の一部にかさぶたができるなどの症状に見舞われ、最悪の場合は死に至るという原因不明の病が流行していました。
この病は「ほっぱん」と呼ばれ、村人たちはその正体を恐れていました。当時の医学では原因が特定できず、村人たちは不安と恐怖の中で生活していたとされています。
「ほっぱん」とは何か?
「ほっぱん」とは、村人のために命を落とした名主の祟りとされ、長年にわたり恐れられてきた存在です。
この名主は、村人たちのために尽力した人物であり、その死後、村に災いが起こるようになったことから、彼の祟りと考えられるようになりました。
「ほっぱん」という言葉自体の由来は明確ではありませんが、村人たちの間ではその名を口にすることすら憚られるほどの存在であったと伝えられています。
現地調査の結果
1951年6月、東京大学の寄生虫学者であった佐々学助教授が、高知県での公衆衛生の講演の際に「ほっぱん」の存在を知り、調査を開始しました。
彼は、伊田地区で発生していた病が寄生虫によるものである可能性を考え、現地での調査を行いました。
その結果、病の原因は寄生虫による感染症であることが判明し、適切な対策が講じられるようになりました。
この調査により、「ほっぱん」は名主の祟りではなく、科学的に説明可能な病であることが明らかとなり、村人たちの不安は徐々に解消されていきました。
北海道で消滅した集落の謎
1週間で消滅した集落
北海道のある集落が、わずか1週間で消滅したという記録が残されています。
この集落は、かつて炭鉱の町として栄えていましたが、炭鉱の閉山に伴い急速に人口が減少し、最終的には短期間で無人となりました。
この急激な変化は、地域経済や住民の生活に大きな影響を与え、現在でもその痕跡が残る場所として注目されています。
消滅の原因とは?
集落が短期間で消滅した主な原因は、炭鉱の閉山による経済的な打撃と、それに伴う住民の大量移住でした。
炭鉱が主要な産業であったため、その閉鎖は地域の雇用を奪い、住民は他の地域へと移り住むことを余儀なくされました。
また、インフラの老朽化や自然災害のリスクも、住民の離散を加速させた要因とされています。
風化させないための取り組み
この集落の歴史を風化させないため、地元の自治体や有志の団体が保存活動を行っています。
具体的には、旧炭鉱施設の保存や、当時の生活を再現した資料館の設立、定期的な見学ツアーの開催などが行われています。
これらの取り組みにより、集落の歴史や教訓が次世代に伝えられ、地域の文化遺産としての価値が再認識されています。
長崎県の「オソロシドコロ」
1300年間立ち入り禁止の場所
長崎県対馬市に位置する龍良山(たてらさん)には、「オソロシドコロ」と呼ばれる禁足地が存在します。
この地は、天道信仰の聖地とされ、約1300年間にわたり一般の立ち入りが禁じられてきました。
「オソロシドコロ」という名称は、「恐ろしいところ」という意味を持ち、地元の人々からは畏怖の念をもって語られてきました。
オソロシドコロには、天道法師の墓とされる「八丁郭(はっちょうかく)」や、その母の墓とされる「裏八丁郭(うらはっちょうかく)」、そして「不入坪(いらぬつぼ)」と呼ばれる禁足地が含まれます。
これらの場所は、長らく仏僧や山伏以外の立ち入りが禁止されており、地元の人々も近づくことを避けてきました。
「オソロシドコロ」とは?
「オソロシドコロ」とは、対馬に伝わる天道信仰の聖地であり、特に龍良山に点在する禁足地を指します。
天道信仰は、太陽を神格化した信仰であり、その中心人物が天道法師です。天道法師は、虚船(うつぼぶね)に乗って対馬に漂着した女性が、太陽の光を浴びて懐妊し、生まれたとされる伝説的な人物です。
彼は奈良で仏教の修行を積み、神通力を得て対馬に戻り、天道信仰を広めました。
オソロシドコロには、天道法師の墓とされる「八丁郭」、その母の墓とされる「裏八丁郭」、そして現在も禁足地とされる「不入坪」があります。
これらの場所は、長らく禁足地とされ、立ち入ると祟りがあると信じられてきました。
現地の現在の様子
現在、八丁郭と裏八丁郭への立ち入りは一定のルールのもとで可能となっています。
訪問者は、塩でのお清め、大声を出さない、転ばない、物を拾って帰らない、お参りが終わったら後ずさりして帰るなどのルールを守る必要があります。
これらのルールは、神聖な場所への敬意を示すためのものであり、地元の人々もこれらを重んじています。
一方で、「不入坪」は現在も禁足地とされ、縄で仕切られ、立ち入りが禁止されています。
この場所には石積みのお墓のようなものが存在しますが、その詳細は不明であり、地元の人々も近づくことを避けています。
オソロシドコロは、対馬の歴史や文化を知る上で非常に重要な場所であり、訪れる際には地元のルールやマナーを守ることが求められます。
伊豆大島の奇妙な風習
1月24日の夜に海を見てはいけない村
伊豆大島の泉津(せんず)地区では、毎年1月24日の夜に海を見てはいけないという独特の風習が伝えられています。
この日は「日忌様(ひいみさま)」と呼ばれ、住民たちは外出を控え、窓には新聞紙を貼って外の景色が見えないようにし、家の周囲を海水で清めるなどの習慣を守っています。
また、玄関には鎌を置き、魔除けの意味を込めてトベラやノビルを飾ることもあります。
この風習は、地域の人々に深く根付いており、現在でも大切に守られています。
風習の由来と意味
この風習の起源は、江戸時代に遡ります。
泉津地区の若者25人が、悪政を敷く代官を討ち、波治加麻神社の大木を使って丸木舟を作り、島を脱出しようとしました。
しかし、他の島々は彼らを受け入れず、若者たちは海で命を落としました。
その日が1月24日であったことから、彼らの霊が毎年この日に島に戻ってくると信じられています。
住民たちは、彼らの霊を迎えるために、家の中で静かに過ごし、特定の儀式を行うようになりました。
実際の取材の様子
「世界の何だコレ!?ミステリー」では、伊豆大島のこの風習を取り上げ、実際に1月24日に泉津地区を訪れました。
番組スタッフは、住民たちがどのようにこの日を過ごしているのかを取材し、家々の窓に新聞紙が貼られている様子や、玄関に鎌が置かれている光景を記録しました。
また、住民たちが外出を控え、静かに過ごしている様子も紹介されました。
この取材を通じて、地域の人々がこの風習を大切に守っていることが明らかになりました。
まとめ
『世界の何だコレ!?ミステリー』2025年5月21日放送の2時間スペシャルでは、日本各地に伝わる集落や祟りに関するミステリーが特集されました。
高知県の「ほっぱん」、北海道で1週間で消滅した集落、長崎県の「オソロシドコロ」、伊豆大島の「日忌様」など、各地の伝承や風習が紹介され、視聴者の関心を集めました。
これらのエピソードは、地域の歴史や文化、そして人々の信仰や生活習慣が深く関わっており、単なる怪談や都市伝説ではなく、実際の出来事や風習に根ざしたものです。
番組では、現地の人々への取材や専門家の意見を交えながら、これらのミステリーの背景や意味を探求しました。
これらの伝承や風習は、現代においても地域の人々によって大切に守られています。
例えば、伊豆大島の「日忌様」では、1月24日の夜に海を見ないという風習が今も続けられており、地域の人々の信仰や生活に深く根付いています。
このような地域のミステリーや風習を知ることで、日本各地の多様な文化や歴史に触れることができます。
今後も『世界の何だコレ!?ミステリー』のような番組を通じて、これらの貴重な伝承や風習が広く紹介され、多くの人々に知られることを期待しています。
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