志穂美悦子さんは、アクション女優としての華々しいキャリアを経て、結婚・出産を機に芸能界を離れ、家庭を優先されてきました。
その後、花創作家としての活動やシャンソン歌手としての挑戦など、多彩な才能を発揮されています。
2025年2月6日放送の「櫻井・有吉THE夜会」では、約30年ぶりのメディア出演を果たし、その激変ぶりが大きな話題となりました。
彼女の新たな挑戦と現在の活動は、多くの人々に感動と刺激を与えています。
志穂美悦子の華麗なるアクション女優時代

デビューからトップ女優への道
志穂美悦子さんは、1955年10月29日、岡山県に生まれました。
幼少期から運動神経が抜群で、中学・高校時代には陸上部に所属し、特にハードル競技で優秀な成績を収めていました。
1972年、千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入会し、本格的にアクションの道を歩み始めます。
翌年、映画『ボディガード牙』でデビューを果たし、その後、1974年の『女必殺拳』で初主演を務め、一躍注目を集めました。
代表作とその魅力
志穂美さんの代表作には、『女必殺拳』シリーズや『影の軍団』シリーズなどがあります。
特に『女必殺拳』では、自らスタントをこなし、迫力あるアクションシーンを披露しました。
また、1984年の『上海バンスキング』では、日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞し、演技力の高さも評価されました。
アクション女優としての評価
志穂美さんは、日本初の本格アクション女優として、その地位を確立しました。
当時、女性が自らスタントを行うことは珍しく、その挑戦的な姿勢と高い身体能力は、多くのファンや業界関係者から高く評価されました。
彼女の存在は、後の女性アクション俳優たちに大きな影響を与えています。
活動休止とその理由

芸能界引退の背景
志穂美悦子さんは、1987年にシンガーソングライターの長渕剛さんと結婚されました。
当初、引退の意向はなかったものの、長渕さんから「家の中に2つの星はいらない」と言われたことが大きな転機となりました。
その後、妊娠・出産を経て、家庭を優先する決意を固め、芸能界を離れることを選択されました。
引退後の生活と活動
引退後、志穂美さんは専業主婦として家庭を支えつつ、3人のお子さんの育児に専念されました。
その後、2010年頃から花創作家としての活動を開始され、各地で展覧会やパフォーマンスを行うなど、新たな分野で才能を発揮されています。
家族との時間
家庭生活では、夫の長渕剛さんやお子さんたちとの時間を大切にされてきました。
特に、子育てにおいては、子どもたちの成長を見守りながら、家庭を支える役割を果たされました。
また、家族ぐるみでの活動や交流も積極的に行い、家族の絆を深めてこられました。
30年ぶりのメディア復帰

「櫻井・有吉THE夜会」出演の経緯
志穂美悦子さんは、2025年2月6日放送のTBSテレビのバラエティ番組「櫻井・有吉THE夜会」に出演されました。
この出演は、彼女にとって約30年ぶりのメディア復帰となり、大きな話題を呼びました。
番組のテーマが「激変ぶりが話題の人たちの夜会」であり、志穂美さんの現在の活動や生活が注目されたことが、出演のきっかけとなったと考えられます。
番組内でのトーク内容
番組内では、志穂美さんの過去のアクション女優としての活躍から、現在の活動までが紹介されました。
特に、彼女が現在取り組んでいる古民家リフォームやシャンソン歌手としての活動について、詳しく語られました。
また、長年メディアから離れていた理由や、家族とのエピソードなど、貴重なトークが展開され、MCの櫻井翔さんや有吉弘行さんも驚きを隠せない様子でした。
視聴者の反応と反響
志穂美さんの久々のテレビ出演に対し、視聴者からは驚きと喜びの声が多く寄せられました。
SNS上では、彼女の変わらぬ美しさや、多彩な才能に感嘆するコメントが多数投稿されました。
また、彼女の新たな挑戦に刺激を受けたという意見も見られ、幅広い世代から支持を集めました。
この放送をきっかけに、志穂美さんの過去の作品や現在の活動に再び注目が集まっています。
志穂美悦子の現在の活動

花創作家としての活動
志穂美悦子さんは、2010年から花創作家としての活動を開始されました。
東日本大震災をきっかけに、被災地でのフラワーアレンジメント教室を開催し、花の力で人々を元気づける活動を行ってきました。
その後、奈良の薬師寺東院堂を花で飾るプロジェクトなど、大規模なフラワーアートにも挑戦されています。
現在も「花穂塾」というワークショップを主催し、受講生と共に花を生ける活動を続けています。
シャンソン歌手としての挑戦
2024年6月、志穂美さんは「鬼無里まり(きなさ まり)」の名義でシャンソン歌手としてデビューされました。
シャンソンの日本語訳詞の美しさに魅了され、特に「幸せな愛などない」といった曲に深く共感しているとのことです。
同年11月には、日本シャンソンコンクールに初出場し、見事「優秀賞」を受賞されました。
その他の新たな取り組み
志穂美さんは、花創作家やシャンソン歌手としての活動に加え、講演会やフラワーアレンジメントのワークショップも精力的に行っています。
2024年9月には、青森県六ヶ所村で「可能性の扉」と題した講演会を開催し、フラワーアレンジメントの実演やシャンソンの披露も行われました。
また、InstagramなどのSNSを通じて、日々の活動や作品を発信し、多くのファンと交流されています。
まとめ

志穂美悦子さんは、アクション女優としての華々しいキャリアを経て、結婚・出産を機に芸能界を離れ、家庭を優先されてきました。
その後、花創作家としての活動やシャンソン歌手としての挑戦など、多彩な才能を発揮されています。
2025年2月6日放送の「櫻井・有吉THE夜会」では、約30年ぶりのメディア出演を果たし、その激変ぶりが大きな話題となりました。
彼女の新たな挑戦と現在の活動は、多くの人々に感動と刺激を与えています。
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